憲法改正をしたいなら、身を切ってほしい

以前述べたことについて補足する。

憲法9条改正に賛成か、反対か。この問いかけのしかた自体に疑問を感じるのだが、それを承知で答えると『桑畑三十郎』である。具体的には、二つの条件が満たされれば賛成する。まず、一部改憲派と一部護憲派への反論から始めたい。


現行憲法は押しつけ憲法であるから改憲すべき、という意見には反対する。なぜか。

アメリカを主とする戦勝国が押しつけたという主張を否定はしない。日本人も関与してはいるが、それは従であって主ではない。そして押しつけた理由は、戦勝国の利益のため、すくなくとも害しないためであろう。

しかし、押しつけられたのは誰なのか。誰が困ったのか。旧体制の不当利得者であって、一般の国民ではない。すくなくとも筆者は、現行憲法による苦痛が耐えがたいので他国へ逃れるなど考えられない。

ラグビーは熱意からとはいえルール違反から生まれた、とも言われている。だからといって、ラグビーを否定する必要はない。銀行が行う信用創造は預かり資産の流用、つまり使い込みから生まれた。(「銀行 金細工」で検索するとわかる。) だからといって、銀行を否定する必要はない。

したがって、押しつけ憲法だからというのは変える理由にならない。また、疑問を感じなくても恥ではない。ラグビーにおいてルールを守ったり、銀行員の使い込みが裏切りと犯罪であることに疑問を持つだろうか。


一方で、現行憲法は改正の必要なしという意見にも反対する。条文と実態の差が、あまりにもかけ離れているからだ。そして国民の多くは、自衛隊の存在という実態を支持している。このことは9条改正絶対反対という人達が、憲法改正手続きに抵抗することからも明らかである。

9条の条文を厳密に解釈して実態のほうを変えるというのも、一つの尊重すべき意見である。しかし、そういう意見を採るかどうかは国民とその代表が話し合いで決めることだ。自分たちが正しいと主張する人だけで決めるものではない。それが憲法で定める国民主権というものだ。

憲法は9条だけではない。国民は生命と生活に権利を有し、それを守るのは国の義務である。改正を認める条文もある。憲法を守るのであれば、改正手続きも認めなければならない。そうでなければおかしい。護憲派が憲法を守らないというのは、これ以上ない矛盾だろう。


ではあらためて、憲法9条改正の報道されている自民党案に賛成か、反対か。今のところ反対する。シビリアンコントロールが足りない。自民党案でもシビリアンコントロールはうたわれている。しかし、細部は白紙委任してくれと言っている。心もとない。

自衛隊は安全と安心をもたらすというのが、自衛隊を支持する理由であろう。ならば、安心できる条文とすることが、賛成するための第一の条件となる。以下は一案である。

「(今回改正で追加した)前項は、10年ごとに国民投票で継続か廃止かを問う。」

言い換えるとこうなる。自衛隊の存在を現時点では認める。しかし、話はこれで終わりだというのは認めない。これから先、自衛隊と防衛政策がどうなるかの保証はないのだから。

自衛隊の変質を防ぐためには、国民が直接に、合憲性を定期的に判断するのが望ましい。三権には長年月にわたって9条と自衛隊の問題を、逃避したり、こじらせたり、ごまかしたりした実績があり任せておけない。


もし、改正後10年あるいはそれ以降に廃止されたらどうなるのか。政府の説明通りであれば、現状と変わらない。憲法改正によって自衛隊の実態が『なにも変わらない』のであれば、不都合はない。防衛政策の安定性を損なうおそれがあり好ましくないというのであれば、政府の説明は間違っていることになる。

自衛隊員の士気に関わるという反論があるとしたらおかしい。自衛隊は政府によるコントロールには従うが、国民によるコントロールには従いたくないということになってしまう。


筆者は素性を明かしていない。日本人かどうかもわからない者は無視せよという意見もあるだろう。これについては、押しつけ憲法は改憲すべきという意見に対してと同様の反論をしてもいいのだが、むしろ歓迎する。

意見というのは意見自体だけではなく、提起した人物・集団についても吟味すべきというのは一つの考えである。しかしそうであるならば、自民党の憲法改正案についても同じだろう。

国会において野党が、安倍首相だから憲法改正論議に応じないというのは困る。しかし国民が、安倍首相だから憲法改正に賛成できないというのはかまわない。賛成するための第二の条件は、安倍首相が平和主義の尊重を身を切って示すことである。ためらってでもいい。以下のように言えるだろうか。

「自衛隊は日本と同盟国への軍事行動を断念させるための抑止力として存在する。結果として、軍事行動が永久に起こらないことが理想である。この文脈において、日本は永久に敗戦国であることを望む。」

本来は集団的自衛権の行使を可能とする前に言うべき、ならびに言わせるべきことだが、まだ遅くはない。言えないとしたら、何をしたいのだろうか。