沖縄に対して、やれることをやってほしい

以前述べたことについて補足する。

筆者の場合、普天間基地の移設先は現時点で名護市辺野古以外に考えられない。一方で、政府が行っている辺野古への移設方針に不満である。これは矛盾しない。

各種世論調査の目的は調査だけではない。よく比較すると分かるが、世論を動かすことも目的としている。それを全面否定はしないが対抗するという意味で、「矛盾」を説明したい。

米軍基地とそれにともなう問題が沖縄県へ偏るのは、地政学上の理由でやむを得ないことだろうか。一次的にはそうかもしれない。しかし、ならばこそ、沖縄へ配慮することが国政の役割であろう。世論の分断に対処する方法がほかにあるだろうか。世論の支持を得ることは、国の防衛そのものでもあろう。では、どういった配慮ができるだろうか。


まず、国は沖縄に対して、少数民族への支配と抑圧の歴史があったことを認めるべきである。すくなくとも、沖縄戦における民間人死亡について、国に原因の一部があったことを明確に認めるべきだ。

最近、沖縄戦での民間人被害について国の賠償責任は認められないという最高裁の判決があった。ただし、結論にいたる理由づけを読めば、国に原因があることを認めている。そうでなければ、まわりくどい論理で国の責任を否定する必要はない。この判示の意味を考えるべきである。

裁判は丁半ばくちではない。司法判断が尊重されるゆえんである、丁寧な過程にも目を向ける必要がある。結論だけに着目するのは、裁判官をツボ振りとみなすのに等しい。

賠償責任を考える必要がなくなったということは、原因の一部があったことを認める支障もなくなったということである。軍が組織的に自決を命令したと認めよと言っているのではない。最高裁の判示を明確に追認せよと言っているだけである。判決を好機として、やれることをやってほしい。

なお、自決が強要されたのか違うのかについては、別途記事を書きたい。


政策としては、日米地位協定の見直しになる。これは全国知事会からも提言されている。すべてを直ちに見直すのは無理かもしれない。それでも、できることはあるだろう。

現安倍政権は『やってる感』をアピールするのが上手いとされているようだが、この件に関しては検討すらしているように感じられない。ということは、なにもしていないのであろう。そういう批判を的外れとするのであれば、率直に国民と対話してほしい。


当時首相となる鳩山氏は普天間基地を沖縄県外に移設するという、できないことを約束してしまった。このことは批判されるべきである。しかし、できることをやらないというのも、同様に批判されるべきだろう。強行対応を許容できるのは、万策尽きた後である。やれることをやっていないから、全国的にも基地移設の支持が足りないのではないだろうか。