慣例にないことをする際は用心がいる

報道によると平成に続く新元号の出典候補として、漢籍だけでなく日本の古典も含めるそうである。そのこと自体は否定しない。問題なのは、落とし穴を避ける体制ができているのか不明であることだ。

新元号は日本語である。漢字を使っても中国語として通用する必要はない。しかし、中国語として滑稽で失笑を買うようなものは避けるべきである。今の時代には特にそうだろう。

日本の古典を出典とするのはかまわない。ただし、中国語を知っている人物も制定に加わるべきであろう。もしや政府には、漢籍にくわしい人物であれば中国語を知っているという認識がないのであろうか。

このような懸念が的中する確率は低い。とはいえ、万が一に備えるべき事柄である。報道による限りでは、そういう配慮がなされているのか不明であり心配だ。