新元号に関する懸念は杞憂だった

以前の記事について補足する。以下には裏付けのない推測が含まれている。ただし、そう思った根拠は説明する。

新元号を各国に通知するという報道で思ったのだが、おそらく政府も筆者同様の懸念は持っており十分な配慮をしていた。しかも漢字を使う中国語だけでなく、各国のすくなくとも公用語については可能な限り調べたと思う。

ではなぜ筆者は政府の認識が足りないのではないかと懸念を持ったのか。政府の配慮が伝わってこなかったからだろう。ではなぜ伝わってこなかったのか。

各国語の調査など若干名で行えるものではない。多くの人物、たとえば外務省の職員がたずさわっていたのではないか。つまり、一般に思われているよりも多くの人が新元号を事前に知っていたと推測する。そのこと自体は問題ない。問題なのは、そのことが伝わってこないことである。

報道によると、有識者懇談会のメンバーは短時間ではあるものの外部との接触を制限されたそうだ。事前にそういう条件でメンバーになっているのかもしれないが、軟禁という批判があってもおかしくない。現に野党出身の国会副議長は反発している。これは政府の希望に対して、自発的に対応するということでおさまったようだ。しかし、少数ならまだしも多くの行政職員が事前に知っていたとなると、話がこじれたかもしれない。

これはあくまでも推測であり、実際のところはわからない。ただしこの推測が誤っているのであれば、政府の配慮は十分でなかったことになる。

新元号の発表はつつがなく行われた。しかし、その要因として政府の秘密主義、すなわち国民を対立する存在としてとらえる発想があったのは残念である。

以上は懸念が杞憂だった言い訳だ。


新元号そのものについての批判はない。「令」は命令を意味するというのは、言いがかりだと思う。そのうえで、「令」が命令を意味したとしても問題はない。国民と国・政府の関係において、「令」の主語はだれか。当然に国民である。突飛な発想ではない。株主と会社・経営者の関係と同じだ。この思想については、別途くわしい記事を書きたい。

制定の経緯については思うところがある。有識者懇談会のメンバーは政府が選んでいる。予算を握られている人が、新元号について政府の意向に沿ったとしても驚くことではない。別の大義があるだろうから、筆者は批判しない。批判すべきは、そのような指摘をできないマスコミ等のほうだろう。


和を尊ぶというのは己の主張をしないことではない。そのうえで、中西氏の言動は新元号の「和」という精神を体現しているだろうか。これについても思うところはあるが、「和」に反しているとまでは言えない。

批判に対してまともに反論しているという点は評価する。この点では「和して同ぜず」を体現している。国会での与野党ならびに新元号を制定した現安倍政権は、見習ってほしい。


新元号については筆者の思い込みを覆すことがあった。たとえば、今年は西暦何年・平成何年で間違いなかったかと思うことがある。特に新年1月は間違いが起きやすい。そういう時どうすればいいか。西暦と和暦を変換する計算方法について詳しいサイトはすでにある。ただ、それらの計算方法は筆者のニーズにとって大げさだ。

もし間違えるとすれば、ほとんどの場合1年のずれである。西暦と平成のずれを判別するのに、筆者は以下の命題を利用してきた。

西暦x年・平成h年では、xとhに次の関係が必ず成り立つ。

  • xとhは共に偶数、または共に奇数。

逆に言うと、片方が偶数でもう片方が奇数なら、どこかで間違っている。なお、上記命題は必要条件であって十分条件ではない。満たさなければ間違っているが、満たしているから正しいとは限らない。しかし、もっともよくある間違いの1年のずれは防げる。一瞬で判別できるのも大きい。

この判別方法の弱点として、「『共に偶数、または共に奇数』でよかったのか、それとも逆だったか、不安になったらどうするのか」と思う人がいるかもしれない。筆者は今まで以下のように考えて覚えていた(つもりであった)。

西暦x年・昭和s年では、xとsは必ず片方が偶数で片方が奇数となる。昭和生まれの筆者の場合、このことを忘れる心配はない。もし忘れたとしたら、別の問題で手いっぱいとなり、このような些末な問題はどうでもよくなるだろう。したがって、やはり心配はない。ここまでは正しかった。

ここからは考えが不十分だった。元号が変わった西暦x年・平成h年では、昭和の関係と逆転する。では、西暦x年・令和r年はどうなるか。平成の関係と逆転して昭和の関係に戻る、と今までは思っていた。ところがそうではなかった。西暦x年・令和r年では、xとrに次の関係が必ず成り立つ。

  • xとrは共に偶数、または共に奇数。

関係が逆転するかどうかは、新元号の前年の旧元号が偶数か奇数かで決まる。平成元年の前年は昭和63年。奇数なので関係が逆転する。令和元年の前年は平成30年。偶数なので関係はそのまま。

筆者の認識は不完全であった。なぜ何十年も気づけなかったのか。従来の認識で当面の問題は乗り切れたからだろう。認識を改める動機と機会がなかった。個人的にも普遍的にも、そういうことは他にもいっぱいありそうだ。