「雑記」カテゴリーアーカイブ

仕組み債に手を出してはいけない理由

仕組み債の危険性について警告するサイトは多くある。ただ、警告を必要とする人たちにとっては、正確であるがゆえに分かりづらいかもしれない。そこで、大胆なたとえ話で説明する。


「日本経済サイコロ指数(カモ)」という、ばくちがあるとする。サイコロを1個振り、当たりか外れかを決める。当たると2倍になり、外れると掛け金没収。

ここからがとんでもない。当たりは6が出た時だけ。1・2・3・4・5は外れだ。胴元が圧倒的に有利になっている。しかも胴元は6が出たとしても損はしない。どういうことか。

名前のよく似た「日本経済サイコロ指数」という別のばくちがある。「~(カモ)」と違うのは、当りと外れの決め方。1・2・3が外れで、4・5・6が当たりとなる。胴元はこれで保険を掛けている。

胴元にとっては、1・2・3は差し引きゼロ、4・5は2倍、そして6でも差し引きゼロとなる。サイコロを振るたびに、三分の一の確率で2倍になる。損になることは決してない。実においしい。

こんな胴元有利のばくちに手を出す人はまずいない。しかし、仕組み債を購入するのはこれと同じことなのだ。


実際の仕組み債ではサイコロではなく、「日経平均株価が~の時点までに~円に到達する」などの確率で決める。そうなると妥当性を判断できずに、丸め込まれてしまうのだろう。

それと、たとえ話では「三分の一の確率で2倍になる」としたが、実際の販売者側はほぼ確実に安定した利益を得られるはずだ。保険の手段に多様性があるからだ。

たとえ話は極端すぎるという反論もあるだろう。そのとおりかもしれないし、そうでないかもしれない。販売者側が仕組み債の収支実績をわかりやすく公表すれば、はっきりする。購入者がどれだけ儲けたのかの実績も教えてほしい。仕組み債の宣伝にもなることを、なぜしないのか。公表しないことは、なにを意味するのか。


一見すると有利な条件は、罠のえさかもしれない。相手はどうやって利益を得るのだろうか。よく考えよう。

同じことの記事なのに、なぜ印象が違うのか

引用始まり

2017.1.12(木)読売新聞・夕刊15面
防犯メールに被害者名
女子高生突き飛ばし 警視庁が誤配信

警視庁は11日、東京都内の犯罪情報を希望者にメール配信するサービス「メールけいしちょう」で、被害者となった女子高生の実名を誤って配信したと発表した。

(省略)

配信する際には、配信元の署幹部が内容を確認することになっているが、今回は同署の男性巡査が入力し、幹部に無許可で配信していた。

(省略)

引用終わり


引用始まり

2017.1.12(木)日本経済新聞・夕刊13面
被害者名 伏せず配信
警視庁の犯罪情報メール 登録6500件に

警視庁が都内の犯罪の発生情報などを一般にメールで知らせるサービス「メールけいしちょう」で11日夜、暴行事件の被害者の女子高生の氏名を誤って配信するトラブルがあった。

(省略)

事件を担当した同庁赤羽署で、文面を入力する権限の無い男性巡査が上司の指示で入力して送信した。上司は内容を確認していなかったという。

(省略)

引用終わり


読売新聞の記事によると、主として巡査の行為に問題があると受け取れる。ところが、日本経済新聞の記事によると受ける印象は違う。

読売新聞の記事は誤報というわけではない。しかし、ミスリードではないだろうか。

警察幹部に媚を売ったのだろうか。そうでないのなら、まともな理由を説明をしてほしい。

「日本語の乱れ」の原因は少子高齢化

以下は新聞の読者投稿欄から引用した。記名も引用するのが一つのセオリーではあるが、ネット上への引用は原著者の想定外かもしれないので控える。


引用始まり

2017.2.15(水)読売新聞・朝刊12面
「ら抜き言葉」に不快感

(省略)

日本語は大いに乱れている。
言葉は時代と共に変わるというのはへりくつだ。歴史ある美しい文法を無視し、勝手な使い方をしたなら、日本語は滅びかねない。

(省略)

引用終わり


“歴史ある美しい文法”とはいつからの歴史なのか。原著者の生年に依存する歴史ではないのか。そのようなインプリンティングに関心を持つ若年世代は、商売人・特殊詐欺犯・相続人ぐらいだろう。

90年代の終わりごろから、「ら抜き言葉」や「日本語の乱れ」を指摘する声が大きくなったように思う。以前より落ち着いた気もするが、いまだにそういう声はある。どうしてこうなったのか。

事象ではなく認識が変化したのではないか。日本語の揺らぎは従来からあったが、特に大きくなったわけではない。揺らぎを不快と感じる人の比率が高まったのではないか。つまり、少子高齢化のあらわれだ。

以上に反論もあるだろうが、その反論の言葉はサルの叫びや古語の否定の上に成り立っている。日本語に限らず、言葉はいつも滅びてきた。そうでなければ、いまだに古語を使っている。どころではなく、人類は誕生していない。

言葉が乱れていると感じるのは長生きできた証拠だ、と思ってあきらめよう。

国民は大きな嘘を信用する

引用始まり

2017.2.23(木)日本経済新聞・夕刊13面
ウッズ巡る報道 冷静さ欠くメディア
米ゴルフツアー ジム・マッケイブ

多くのゴルフ記者は、かれこれ2500年以上も語り継がれているイソップ童話になじみがないのだろうか。
世界中で読まれているこの童話の中に、「オオカミ少年」という話がある。有名なのであらすじは割愛するが、大人たちは教訓として「ウソばかりついていると、本当のときに誰も助けてくれないよ」と子供たちに教えてきた。

(省略)

引用終わり


この記事は間違ってはいない。しかし、裏がある。

一般に知られている「オオカミ少年」の話は、改変されている。イソップの原作では、保護者不在の少年が心細く恐れるあまりにオオカミが来たと思ってしまった。いたずらでうそをついたのではない。

自らの利益になるように話を作り変えた何者かのほうが、『大きな嘘』をついている。『国民』の一部である子供たちも『小さな嘘』は見抜けても、『大きな嘘』は信じてしまったのだろう。子供たちの末裔も同じだ。

ところでマッケイブ氏はイソップの原作を知っているはずだが、日本のマスコミ人はどうだろうか。知っている人もいるのだろうが、まれだと感じる。あるいは知っていても全く伝えないと感じる。限界もあるだろうが、せめて引用した記事のレベルには到達してほしい。

「私の履歴書」の予想は外れた

最近の製造業での不正に関する新聞記事で思い出した。以前書いた予想は外れた。加賀見俊夫氏は日経新聞「私の履歴書」で、食品偽装について特に書かなかった。

こうなってみると記事はきつい批判になっている。たぶん「私の履歴書」は加筆修正した書籍になるだろうから、挽回を期待したい。

この件を含めて、オリエンタルランド(「日本の」ディズニーランド)やそれに対する「日本の」マスコミに批判があるようだ。適切なスイッチを押せば状況は変わるかもしれない。かつてはスイッチを押すのに高いハードルもあったが、最近のテクノロジーを使えば難しくない。

どんな動機であれ本気ならば、スイッチの場所は分かると思う。状況が変わらないのは、筆者も含めて単なる願望に留まっていることによる当然の結果なのだろう。

テーブルトークD&Dの昔の話

テーブルトークのD&D(AD&Dではない)で思い出したことを書いておく。以下は昔の記憶による記述もあるが、大筋では間違っていないはず。

ワイトは「プロテクションフロムイービル」の呪文で守られたキャラクターを攻撃できるか?

ルールの解釈について。ただし、ルールとして自然なのはどちらだろうかという議論。最終的には各マスターの判断になる。

「D&Dがよくわかる本」の中で、「プロテクションフロムイービル」の呪文で守られたキャラクターが壁となってワイトの行動を封じるという記述があった。ワイトは「プロテクションフロムイービル」で守られたキャラクターを攻撃することはできない。キャラクターからワイトを攻撃すると呪文は解けてしまうが、壁に徹すればそうはならない。攻撃は後列にいる他のキャラクターの飛び道具に任せるというわけだ。

このルール解釈はおかしいと思う。D&Dベーシックとエキスパートルールブック(80年代)から引用する。上段は「プロテクションフロムイービル」、下段は「ワイト」の説明。

魔法にかかった生き物はクレリックにふれることさえできない! ここでいう魔法にかかった生物とは、それを殺すのに魔法の武器が必要なものを言う。銀の武器によってしか死なない生き物は対象外。

ワイトは、…、これを攻撃できるのは銀の武器か、魔法の武器だけである。

筆者の解釈では、ワイトは銀の武器で攻撃できるので「対象外」にあたる。つまり「プロテクションフロムイービル」で守られたキャラクターを攻撃できる。

「D&Dがよくわかる本」の解釈はこうなのだろう。ワイトは「銀の武器によってしか死なない生き物」ではない。なぜなら魔法の武器でも攻撃できるから。したがって「対象」である。でもこの解釈は無理がある。

魔法の武器を受け付けないが、銀の武器なら攻撃できる生物というのはいるのだろうか。いないのであれば、ルールの存在意義がない。いたとしても、そのような非常に珍しいトリックスターについてベーシックルールで言及するだろうか。

ワイト部屋に他人のPCを閉じ込める

ワイトというと、ドラゴンマガジン(新和が出版した80年代の雑誌・B5ノートのサイズ・オフィシャルではないほう)のリプレイを思い出す。ワイト部屋に勝手に突撃したPC一人を残した状態で、ドアに魔法の鍵をかけてほかのメンバーは立ち去った、という場面があった。その後、いろいろな意見が誌上で飛び交った。筆者の意見はこうだ。なお、突撃したPCのプレイヤーに同情しているわけではない。

閉じ込めたのは、魔法の鍵をかけたミユキの単独行動ではない。ミユキと以前から親交のあるタッカーとシャルーバッシのプレイヤー(キャラクターではない)、そしてマスターも関与している。ミユキのプレイヤーは三人から支持を得られる、すくなくとも反発はないと確信していただろう。以心伝心ということだ。何度も一緒にロールプレイしていればそうなるはずだ。三人は自分の手を汚さずに望みをかなえたことも指摘しておく。

ステーキにカルピスをかけて食べてもかまわない

これは大貫昌幸氏の表現だったはずだが、筆者もその通りだと思う。なんの話かというと、プレイスタイル・楽しみをどこに求めるのがよいのかという話だ。他人から見て奇異であるとか、少数派であるとか、正統派でないというのは関係ない。他人に食べさせるわけではない限り、気にする必要はない。

現実にはすんなりいかない。ステーキが各自の皿に個別に盛られていれば問題はない。しかし、大皿に盛られたひとつのステーキを一緒に食べざるを得ないこともある。ソースあるいはカルピスをある程度は共有せざるを得ない。上記のワイト部屋閉じ込めの背景もそういうことだろう。

最近はコンピューターゲームでも同じ問題が生ずるようになってしまった。この件は気が向いたら続きを書く。

加賀見俊夫氏は食品偽装を履歴書に書くと思う

ひとつある例外は、たいしたことのない武器だ。店で売っていないドロップアイテムがあることの、アリバイ作りだろう。こうしておけば、表面上は登場アイテム募集の約束を破ってはいない。ますます気に入らない。

個人の記事なので、思い入れによってゲームの紹介記事は長くもなれば短くもなる。「ドラゴンスレイヤー英雄伝説2」には強い負の思い入れがあることを再認識した。

「アリバイ作り」で思い出したことを書いておく。2013年に食品偽装(食材偽装)が問題になった。ところが、批判を受けた企業は多いのに発端となった企業はほとんど批判されていない。

どこかというと、東京ディズニーランドなどを運営しているオリエンタルランドだ。初めて知った人はびっくりしたかもしれないが、しょせんマスコミは営利企業もしくは国の下請け機関だ。公平でなくても驚くことではない。

マスコミ関係者も上司などの制約を受けるだろうが、できることもあるはずだ。たとえば日経新聞では時間をおいた検証記事で、ディズニーについて触れていた。知る限りでは本文(小さい字)1行だけなので、世間に知られることはなかっただろう。つまり「アリバイ作り」だ。

でも、上記のゲーム記事とは状況が違う。筆者のゲーム記事での主張は、実質的に変わらないなら表面だけとりつくろうなということだ。日経新聞の1行には、実質的な意味がある。たとえ読んだのが筆者一人だけだったとしても。

ところで現在2017年5月は、日経新聞「私の履歴書」をオリエンタルランドの経営者・加賀見俊夫氏が書いている。食品偽装問題にどう触れるのか、筆者は注目している。書くのか書かないのか。どの程度まで書くのか。どういう態度を示すのか。

うろ覚えだが、「コンバット」にこういう意味のセリフがあった。

戦場において、一時の感情で逃げるのは卑怯ではない。逃げたことを認めないとき、卑怯になる。

昔も今も、ゲーム業界ではバグや『仕様』などの不都合情報を可能な限り隠そうとする態度がある。エンターテインメントというくくりでは、ゲーム業界もディズニーも同じだ。加賀見俊夫氏には、名実ともに一流の態度を期待している。ゲーム業界の参考になるような態度を。